盛岡の宿 ホテル小田島記念館

小田島旅館 創業期〜昭和初期

小田島旅館創業期 下宿から旅館へ

旧小田島旅館は明治30年(1897年)太田代カツにより、下小路(現本町)に下宿として創業された。創業時期については創業当時の公的資料があるわけではないが、昭和26年発刊「老舗銘々傳」の取材による小田島旅館の記述がある。取材を受けたのが創業者の孫(実際は甥)であり、当時生前の創業者をもっともよく知る人物である。

旅館業への専念 明治から大正期

創業当時はあくまで下宿であり、生業としての本業ではなかったらしい。明治40年(1907年)に現在の岩手医科大学歯学部の地に客室数10部屋にて旅館業の営業を始める。その後興産無盡(現北日本銀行本店)の地に移ることとなるが、転居するたびに規模を拡大していった。

そして大正14年に盛岡税務署の跡地を払い下げにより取得し、約500坪の敷地に近代的本格旅館の経営をするに至った。

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小田島旅館 昭和初期〜近代的経営へ

昭和初頭 戦中戦後

大正末期に現在の所在地である日影門外小路に居を定め旅館業に専念していったのだが、昭和の初頭に増築を繰り返し終戦前後には20室を超える旅館となった。

終戦前は日本軍の関係者、終戦後は連合国軍の関係者が利用していたことが当時の写真から覗える。この時代の動画フイルムも残っており、当時の衣類や住居などの生活、また旅行等の娯楽など時代背景等も覗える。

創業者は昭和17年に67歳で他界したが、前述の創業者の孫(実際は甥)が旅館を引き継ぐ。昭和28年にこの2代目が若くして他界し、その妻いわゆる女将が引き継いだ。この年は色々な意味で転機の年になる。それは従来の個人経営を法人組織に改め、株式会社小田島旅館としたことだ。宿屋の近代経営として再出発の年であった。

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小田島旅館 昭和中期 高度成長時代

高度経済成長期の旅館経営

大正末期に現在の中央通りに移転し現在に至るのだが、この現所在地の他に別館、分館と計3館を営業していた。小田島別館は創業者の妹に任せ、のれん分けのようなかたちであった。現在は別館、分館ともに事業承継の流れのなかで姿を消している。

さて旅館にはおおまかに二つの形態がある。歴史的背景など詳しくは後述するが、素泊まりか食事付きかである。当旅館は基本一泊二食であり厨房があり板前を雇っていた。泊まりのお客様のみならず、近隣の方々もお客様とすべく食堂経営に乗り出したのは言うまでもない。昭和31年のことである。昭和35年には食堂部門を拡大し、階下がガレージとなる50畳の大広間を新築し宴会部門を新設した。

やがて昭和41年町名改称により「日影門外小路」から「中央通り一丁目」になる。これに伴い食堂を「お食事処日影門」と改めるとともに全面改装する。昭和46年、仁王地区区画整理事業により土地の一部を提供し同時期に増改築する。改築後、総客室数24部屋、総宿泊定員77名の旅館となる。この旅館が小田島旅館の最終的な形となる。

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小田島旅館全景 昭和46年〜54年

小田島旅館全景

小田島旅館

昭和46年の小田島旅館を正面から写した全景です。
僅かに写っている道路が現在の盛岡中央郵便局前の道路です。
白と黒のコントラストの中にレンガをあしらったおしゃれな旅館でした。
・昭和46年都市計画のため新装。
・昭和54年ホテルへ改築のため取り壊し。

さらに小田島旅館の写真を見る

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昭和初期・戦前の8ミリフィルム-当時の小田島旅館

history_video

昭和初期・戦前の8ミリフィルム-当時の小田島旅館などの動画です。ウェブログには説明も付けました。

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小田島旅館のアルバム

懐かしい小田島旅館当時の画像を集めてみました。

昭和46年小田島旅館全景
小田島旅館全景
当時のロビー、中庭
  • ロビー1
  • ロビー2
  • ロビー3
旧小田島旅館の客室
  • 客室1
  • 客室2
  • 客室3
旧小田島旅館の食堂、レストラン日影門
  • 食堂1
  • 大広間
  • 食堂:日影門
旧小田島旅館の大浴場
  • 大浴場1
  • 大浴場2

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